short-Farce- short



 Farce





 何時のことだったか忘れてしまったけれど、見知らぬ女の子に「貴方が欲しい」と言われた。真紅の頭巾を被り、俯く彼女の顔は黒いシミに覆われていて表情を知ることはできない。そんな人を初めて見た僕は幼い子供心に、何を言い出すのだろうかこの不気味な女の子は、と思った。そして「僕は誰のものでも、ましてや物でもないからあげることなんてできないよ」と冷静に答えた。すると彼女は「貴方が何を言おうと、私は貴方が欲しいのよ!」と、酷く怒ってしまった。どうやらその女の子は世間一般的に『魔女』と呼ばれ、疎まれている子だったらしく、彼女は僕に死ぬまで付き纏う呪いとヒトならざる力を僕に与えて文字通り僕に『成り代わった』。

 何処か見知らぬ場所に捨てられるわけでもなく、自分の体に居なくてはいけない僕にとって『魔女』にかけられたその呪いは『魔女』にとっての戒めで。成り代わるという行為は『魔女』が生きる為の術でしかなくて。それに気付いたのは『彼女』が僕の自我に消されてからしばらく経った後だった。

 基より形などない『魔女』は誰に対しても偽りを言い、自分一人だけが利益を得るためなら何よりも冷酷になり、自分が持ちえないものを他人が持っていたら嫉妬する。『魔女』はそんな単純な人だったけれどそこには必ず一つの願望が付いてきていた。

 それは、「人間の心理」について知ることである。




   ◆・・・


 月明かりが微かに入る部屋の中、熱がじわじわと私の身体を侵食してゆく。風邪にもよく似た、だけど決して風邪などではない何か別の症状になって、もう何日目だろう。皆すぐに治るよ、と言っていたのに一向に治る兆しが見えてこない。私だって皆みたいにお日さまの下で遊びたい。皆ともっと仲良くなりたい。でも、それは叶わない。どうして私はこんな特異な病気にかかってしまったんだろう。一人悲観しながら小さく咳をすれば、不意に部屋の扉が音を立てずに開かれた。

 そこから現れたのは私より少しばかり小さな男の子。もしかしたらこの村に住んでいる子なのかもしれないけれど、私はこんな子を知らない。でも、何だか仲良くなれそうな雰囲気を持った子だなあと感じた。

「きっとみんなが嘘ばかり言う世界があったら、それは不幸でしかないんだと僕は思うよ」

 この男の子は一体何を言い出すのだろう。部屋の扉を閉める音や足音さえも立てず、私が寝ているベッドの隣にやってきた彼は私の方をじろりと見おろした。その眼は僅かな月明かりの中でも分かるぐらいの綺麗な水色で、私は羨ましいと思ってしまう。だって空の色と同じ水色とずっと一緒にいられるなんてとても嬉しいことじゃない?

「どうしてアナタはそう思うの」

 彼が初めに問いかけてきた質問にそう返せば、その男の子は「そんなことも分らないの?」と怪訝そうな顔をして私を見つめる。けれど、私には彼の言った言葉の意味が理解できなかったんだから、そんな目をしなくたっていいじゃない。だって私はこの世界には、吐いて良い嘘と、吐いてはいけない嘘があることぐらいしか知らないんだもの。

「嘘を吐きすぎるのも時には人の気持ちを麻痺させるからね……。君たちを見ていると僕はそんなふうにしか思えないんだ」

 諦めを含んだことを言ってからその子は目を細め、「返事はいらないよ」と言うように私の頭をクシャリと撫でた。彼のその手はひどく冷たくて一瞬『怖い』と思ってしまったけれど、その冷たさが私の身体に溜まっていた熱を確実に奪ってくれて、少しだけ安堵してしまう。

 ああ、久しぶりに感じる自分自身の正しい体温。憑き物が落ちたみたいに軽くなった私の身体。それに安堵した私は瞼を静かに降ろした。

「明日には今までのことが嘘みたいに元気になっているよ」

 その言葉にハッと瞼を開ければ、そこにはニコリとも笑わず、すぐに私の側から離れて部屋から出て行こうとする彼の姿があった。月明かりぐらいしか入って来ることのない静かな部屋に一人で取り残されることが寂しく感じられ、思わず私は「待って」と彼を引きとめてしまう。もしかしたら、私の言葉を聞かず出て行ってしまうかもしれない。そんな不安を私は感じていたけれど、彼はすぐにピタリと止まってくれた。しかし決してこちらを向いてはくれない。どうして私の方を見てくれないの。そう言いたかったけれど、私の口から出たのは「アナタの名前は何?」という言葉だった。きっと、名前を知っていれば村の中で彼のことを探せるだろうと思ったからなんだろう。けれど彼は名前を教えてはくれず、唯「僕は『魔女』だよ」と言って私の居る部屋から音を立てずに出て行ってしまった。



   ◆・・・


 私の部屋からよく見える真っ暗な森には、ヒトならざる力を得た『魔女』がいるから森に入ってはいけないよ、と村に住む大人たちが口々に子供に諭している。けれど、そんな『魔女』だなんて非科学的な人間が存在するわけがないじゃない。それにヒトならざる力を得たと言うならば、それはもう『ヒト』なんかじゃあないでしょう? それは皆も知っている筈なのに、どうして森の中に『魔女』が居ると私たちに諭すのかしら。

 それほど良くもない自身の頭で考えても、暗くて光など一切入らない森が怖いからや、森に住む獣たちが恐ろしいから、などという幼稚な理由しか浮かび上がらない。私が持つ疑問に頻繁に答えくれる父さんは、人が何かを恐れる理由を「人間はその物事を知らないから恐れるのであって、知ってしまえば恐れはしないんだよ」と教えてくれた。だから、きっと私の知らない何かを村の大人たちは知っているのだろう。

「ご飯できたわよー」

 時々別の物事を考えながらペンを滑らせ勉強に励んでいた私に、下の階から私を呼ぶ母さんの声が届いてきた。それを聞いた私は「はあい」と返事をして、階段を駆け下りる。階段を踏むたびにギシギシと木の軋む音が聞こえてきた。明るいオレンジの光が、部屋の中を照らしている居間へ行けば、父さんが「早く座りなさい」と私に勧めてくる。スープの入った鍋を持ってくる母さんは「冷めないうちに食べましょう」と言って微笑む。何時もの明るい食卓に、湯気の立つ料理。絶対に変わらない日常。そのはずなのに、どうして今日は村で飼っている牛や羊たちの鳴き声が悲鳴のように聞こえるのかしら。

「ねえ、動物たちの鳴き声が聞こえない……?」

 けたたましいほどに鳴いている牛や羊たちの様子が気になった私は恐る恐る父さんに訊ねてみる。しかし父さんはほうけた顔をして「父さんには何も聞こえないな。母さんは聞こえるかい?」と母さんに訊ねた。父さんに話を振られた母さんは父さんと同じ様に「私にも聞こえないわ」と言いながらも、顔を真っ青にさせている。二人の様子を見ていると、私の中に「二人は何を恐れているのかしら?」という疑問がむくむくと膨らんできた。そしてその疑問に耐えきれなかった私はガタンと座っていた椅子から立ち上がる。ちなみに私はよく「こらえ性のない子ね」と母さんに注意されている。

「私、見てくる」

 外の様子と、両親が恐れている『何か』の正体が知りたい私が外へ行こうとすれば、母さんが私の手を掴んで引き留めた。やっぱり母さんは外で何が起きているのか分っているじゃない。私は答えのある隠しごとや秘密の類は知っている立場に居ないと気が済まない質だと、一番一緒にいる人達がどうして分かっていないの。

「今はまだ出ちゃだめよ!」

 ぐぃ、と手を引っ張られた私はその場でたたらを踏む。それと同時に父さんが私の目の前に出て「あいつは扉を開けなければ家に来られないんだ、だから」と、頼みこむようにして言ってきた。あいつって誰? そんな疑問も浮かんできたから、言葉にしようとしたけれどその言葉は唐突にやってきた小さな来訪者の言葉によって阻まれた。

「誰がそんな確証のないことを言ったのかな? 僕は扉なんて開けてもらわなくても出入りぐらいできるんだよ」

 家の扉を破壊し、「にたぁり」と子憎らしい笑みを浮かべたその小さな人の正体は、私たちが住む村の子の一人だった。だけど父さんと母さんは顔を恐怖の色に染めている。私たちが今、目の前にしているこの子とは昨日もその前の日も顔を合わせていた筈なのに、どうして父さんと母さんはそんなに恐れているの?

「君たちに会うのは五年と五日ぶりだねえ」

 変わらず「にたぁり」と笑うその子の姿を見て、私は何故だろう、昨日も会ったじゃないと思う半面、嗚呼、懐かしいな、なんて場違いなことも思ってしまった。私の頭はこの子の中身を覚えていないけれど、身体はしっかりと覚えている。だから、私はこの子と会うのが久しぶりだと思ったの。それに村に住むこの子の眼は空色と同じ水色ではなかったはず。

「今更、何をしに来たんだ」

 目の前にいる彼から私を庇うようにして父さんが私の目の前に立ちはだかる。その声は珍しく震えていて、やはり父さんはこの子が怖いんだということが明確に理解できた。でも私にとってこの子は恐れるに足らない子なのに、どうして父さんはそんなに恐れているの? 父さんはこの子の何を知っているの?

「何をしにきたかって? 僕は対価をもらいに来たんだよ」

「どうして? 私たちはちゃんと対価を払ったじゃない!」

 私の腕を掴んで離さない母さんが私の耳元でそう叫べば、彼は顔を怪訝そうに歪めてため息を一つ吐いた。私の方は母さんが何を言ったのか理解できずに戸惑うことしかできない。

「君も何を言っているのかな? 僕は君たちが自分の子供を助けるために他人の子を対価として売ったことを掘り返しているんじゃないよ。今、この村の村長が自分の孫を助けるために村人全員を僕に対価として売ったことを言っているんだよ」

 全く、この村の人間ときたらそれを理解するのに時間がかかるから嫌になっちゃうよ。と彼は言って再び「にたぁり」と笑った。そういえば、最近村長さんの孫が、私も一度なったことのある特異な病気になったと聞いた気がする。でも、この村の村長さんは優しくて、みんなのことを何時も考えてくれている人だったから、私たちを売るだなんてことするワケないじゃない。なのに、私の腕を掴む母さんの力が強くなっているのはどうしてなの?

「それにしても、君たちって浅ましいよね。他人の子が苦しんでいる理由を知っているのに、平然と知らないふりをして『すぐに治るよ』なんて言っちゃってさ。自分の家族のために他人の子を売って。だから自分の子にソレが返ってくるんだよ。嗚呼、でもこれはこれで人間の真理に忠実だから、世間としては認められないけれど、ヒトとしては十二分に認められるよね」

「どういうこと?」

 嬉しそうに笑う彼の言葉を理解できないでいる私が小さく呟けば、彼は少しばかり不満そうな顔をしてから再び口を開いた。

「キミはまだ分らないでいるみたいだけど、この村の人達は皆、自分の子の病を治すために他の子を僕に対価として売っていたんだよ。そして僕はその売られた子に、僕しか治すことのできない特異な病をかけたんだ。キミの親たちだってキミのために『そう』したんだから、ちゃんと理解して、自負しないと駄目だよ」

 それでは今、治らぬ病にかかっている村長さんの孫に病を掛けたのは彼だけれど、そうさせた者の、原因の中には私の両親も入っているということなの? 目まぐるしく回る頭の中。彼の言う言葉は分かったけれど、これは理解しても良いのかしら? ううん、私は理解しなくちゃいけない。そう覚悟を決め、彼の言っていた言葉を整理し、理解しはじめる。すると母さんが叫ぶようにして「逃げなさい!」と私に言った。

 私の腕を掴んだまま後ろにいた母さんは私の手を引いてこの場から連れ出そうとするけれど、彼の言葉を理解した私はそこから一歩も動かなかった。何故なら彼が言った言葉と、彼のした行為を理解したうえで逃げる必要がないと悟ったからだ。彼は私たちという対価が欲しいだけなのでしょう? それなら逃げても、奪われてしまう結末に変わりなんて何一つ無いじゃない。むしろ、逃げた方が苦しくて辛い思いをするに決まっているわ。

「くくく、それじゃあ対価を―――いただきます」

 父さんを挟みながら見えた彼は、真っ赤なその舌でぺろりと舌なめずりをする。それを見た瞬間、ゾクリと背筋に悪寒が走った。彼は私にこんな恐怖を与える子だったかしら? そんな疑問だけが浮かんで私の視界は、まるで劇の幕が閉じるみたいにブラックアウト。最後に聞こえたのは父さんと母さんの叫び声だったと思う。



 ◆・・・


 朝、目覚めると見知らぬ天井が目に入った。壁の隅にはクモの巣が張ったままになっており気味が悪い。窓からは白い朝日が入りこみ薄暗い部屋を少しだけ明るく照らしている。それをぼんやりと眺めていると、昨日あった出来事が脳裏によみがえってきた。此処は一体どこなのだろう。父さんと母さん、それに村の皆は生きているのだろうか。

 部屋の外から香ってきたほのかな甘い香りとパンの匂いに鼻腔を刺激された私はすぐに飛び起きて、匂いが立つ方へと急いだ。家の中はカビ臭く、灰色の塊となった埃も隅に積もっている。どうやら此処の家の主人は掃除と言うモノが苦手らしい。

 私を誘う様にしていた甘い香りとパンの香りが一番濃い部屋に飛び込んでみれば、そこには薄汚れたキッチンで何かをしている、『女の子』の姿があった。彼女はラベンダー色をしたワンピースと白いエプロンを身に纏い、機嫌よさそうに鼻歌なんかを歌っている。

 私がこの部屋に来たことに気付いたのだろう、彼女は私の方を向いて「おはよう」と幼い声で挨拶してくれた。でも、この声は間違いなく昨日私の家にやってきた子の声と同じもの。それに、瞳だって同じ綺麗な空色。昨日は村に住む男の子の姿をしていたのに、どうして今日は見知らぬ女の子の姿をしているのかしら。

「キミの分の朝食ならテーブルの上にあるから、遠慮せずに食べていいよ」

 木で作られた茶色のテーブルを指差して笑む少女。まちがいない。この上から目線の物言いは昨日の子と同じ。でも、「どうして」という言葉が口から出てこない。それはきっと彼女の楽しげな鼻歌を聞いていたら訊ねてはいけない気がしたからだと思う。

 彼女が指差していた粗末なテーブルの上には乱雑に置かれたカストリ雑誌や料理本。そしてその隣に取られていた小さなスペースには皿に乗ったパンとコップに入ったミルクが丁寧に置かれていた。何故こんな所に戦後直後に数多く出版されたという粗悪な体裁の大衆雑誌があるのか分らないが、多分彼女の趣味なのだろう。

 机と同じ粗末な椅子に座って温かいミルクを口に含めば、ほんのりとした甘さと乳臭さが口の中に広がる。相変わらず私に背を向けながら何かを作っている彼女は一体どんな名前なのだろうか。

「ねえ、アナタの名前は何て言うの?」

 私が彼女に名を問いかければ鼻歌を歌っていた彼女はぴたりとそれを止め、少しだけ躊躇うように声を発した。

「……ファース」

「ファースね。分かったわ。私は―――」

 名を教えてくれた彼女に私も名前を教えようと口を開けば「君の名前なんか知りたくもないよ」と一喝されてしまう。「でも、知らないと不便でしょう?」と提案してもまた否定された。そしてそれ以上言おうとすれば鋭い目つきで睨まれる。この子は私を認めないのね。それならどうして私を此処に連れてきたりなどしたのかしら。私の名前さえ知りたくないと言うのなら、普通は連れてきたりはしないでしょう?

 彼女が示した反応に少しだけ寂しい気持ちになりながら、私はテーブルの上に置いてあったパンを齧る。しかしそのパンは思っていたより水っけがなくパサパサしていて食べにくかったため、私はすぐにミルクを口に含んだ。普通のパンならもう少し、しっとりしているのに。どうしてこんなにパサパサしているの。

 そうだ、お父さんや母さん、村の皆はどうなったのだろう。此処には居ない人達の顔を思い出した私は、「ねぇ、村のみんなはどこへ行ってしまったの?」とそのことについて知っている筈のファースに再び問いかけた。しかし彼女は「さあね、僕は知らないよ」と言って鼻歌を再び歌い始めてしまう。

 彼女は知らないと言ったけれど、それは嘘に違いない。だって彼女は昨日私の家に来た子となんとなく同じだと感じるから。―――だけど私は、彼女が昨日の彼と同一人物だといえる確かな証拠を得てはいない。気のせいじゃない、違うよと彼女に否定されてしまえばそれでおしまい。その程度のものでしかないのだ。悔しいけれど、これ以上訊いたって彼女は答えてなどくれないだろうから、私はファースの鼻歌を聞きながら無言でパサパサしたパンを口に詰めた。

 食事を終えた私はファースが一体何を作っているのか気になり、彼女の傍へ寄ってみる。キッチンのそばにいる彼女は乳白色をした液体を小さな鍋でぐつぐつと煮込んでいた。

「なあに、それ」

 傍らにやってきた私をちらりと見ただけで、彼女はまた視線を鍋に向ける。鍋から薄く香る匂いは何かの薬品のものだと分かるけれど……これは一体何なのかしら?

「嗚呼、これは特定の人にだけ効く恋の妙薬だよ」

「……それってどういう意味?」

 特定の人にだけ効く恋の妙薬だなんて少しおかしな話じゃない。どうして万人に効かないのかしら? その疑問を胸に抱きながら不思議そうな顔をすれば、ファースは少しばかり呆れた表情をした後で笑みを作った。

「どうやらキミはひどく知りたがり屋さんみたいだね」

 彼女の言葉に、「そうね、私は知りたがり屋だわ。だから教えて?」と答える。私は彼女の言う通り『知りたがり屋』なのだから仕方がないでしょう? それに自分でわざとそうしているワケじゃないけれど何時だって私の頭の中は「何故」や「どうして」の言葉で満たされているんだから。

「カンタレラだよ」

 一切の躊躇いもなく彼女の口から出た言葉は、知る人ぞ知る毒薬の名前。それを知っていた私はカンタレラと言う単語を聞いた瞬間息を呑んだ。

「……どうしてそんな毒薬が恋の妙薬と言えるの?」

 だって普通毒薬は人を苦しめるものでしょう? 人を恋に陥らせる妙薬などには成りえないわ。だけど私の問いを聞いた彼女は少しだけ驚いたような顔をしてしばらく私の顔を見ていた。きっと彼女は私がカンタレラを知らないと思っていたのね。

「毒薬が恋の妙薬と言えるのは客が『そうなること』を望んでいるからだよ。自分の物にないなら、命もろとも奪って自分の物にしてしまえばいいと考えている。もっと努力すれば手に入る物なのかもしれないのにね」

 ファースは小さく笑ってまた鍋の中身をぐるりぐるりとかき回し始めた。そんなことを考えるお客さんもお客さんだけれど、それを作る彼女も彼女よ。どうしてそんな物騒な物を作ってしまうの?

「それはね、使う人が決めることだからだよ。僕はその道具を作ってあげればいい。紛いなりにも彼は人の子なのだから、人一人が持つ命の重みぐらい重々理解しているはずだろう?」

 私は何も口にしていない筈なのに、ファースは私の内なる問いに答えてくれた。もしかしたら私は無意識の内に言葉として口に出していたのかもしれない。でも、彼女のこの答えは私には納得できないものだった。

 道具を作るのは自分の仕事、それをどうやって使うかは客の自由。だから自分が作った道具がどのように使われようが彼女は認知しないし、責任も勿論とらない。むしろファースの答えは道具の悪用を唆すような答えで、それを聞いてしまった私の気分は重くなった。

 この重たくなった自分の気分をどうやって晴れやかにしようか。そう思った私は部屋の中に光を取り込んでいる窓の方を見やる。そこから見えた風景は鬱蒼と茂る森で、此処が森の傍なのだと言うことが分かった。

「外に出てもいい?」

「構わないよ。行ってらっしゃい」

 遠くまで行かないようにとか、昼までに帰ってきなさいとか、そんなことも言わずにファースは私を外へと送りだす。どうやら彼女は此処にきたばかりの私より、毒薬の方にご執心らしい。

 小屋の周辺には森の木が生えておらず眩いばかりに燦々(さんさん)と当たっていた。それに村にあった物より小さいけれど畑があり、畑仕事が好きな私は少しだけその畑をいじりたくなる。けれどまずは家の辺りを見てみたいという自身の探究心に負けてしまい、畑から離れることにした。

 ぐるりと家の周りを回ってみれば、畑と反対側には井戸があって、裏には小さな花畑があった。ただ暗くて、恐怖の対象になると思っていたこの森の中にもこんな落ち着いた場所があるなんて不思議だなあと思ってしまう。

 そして、私のいる場所を取り囲むようにして生えている森の方に目をやれば、まるで森が「何もしないから、こちらにおいで」と誘うようにして木々の枝をゆらした。どうしよう。この森は暗くて、入るには多少の勇気がいると思うけれど……。 

 そんなふうにして私の探究心を擽(くすぐ)って止まない森。自分の気持ちを抑えることのできなくなった私は勇気を振り絞ってその森に入ってみることにした。村に居た時は『魔女』が居るからと森に入ることを禁じられていたけれど、今は誰も禁じる人はいない。だけど私は森へと足を踏み込んでしまったことをすぐに後悔した。

 何故なら森に一歩入っただけなのに、もう何十歩も森の中を歩いたかのような錯覚を引き起こさせられたから。森に入る前の場所から見た太陽は眩しいぐらいに燦々と輝いていたのに、一歩この森に入った場所から見る太陽は眩しさなんて微塵も感じさせてくれない。外から見た森もとても鬱蒼としていたけれど、実際歩いてみると思っていた以上に暗く、不気味だった。地面には蛇や気味の悪い虫が通るし、頭上では姿の見えない鳥が鳴き声を上げている。

 早く森の外から出なくては。そう思い直した私が今まで通ってきた場所を戻ろうと一歩踏み出した瞬間、私は森の奥に一歩足を進めていた。確かに私は森の外へ出ようと一歩を踏み出したはずなのに、どうして。まるで、戻ろうとすればするほど森の奥深くに行ってしまっている。そんな状況に陥ってしまったみたいじゃない。

 ありえない。頭ではそう分かっていても自分の身体は「こわい。こわい。もりが、こわい」と震える。その時になって私はやっと大人たちが森に入ってはいけないと諭していた理由が理解できた。『魔女』が居る、居ないなどの問題ではない。森自体が入った人間を逃がそうとしないから入ってはいけないのだ。

 一歩でも森に足を踏み入れてしまえば、森は決して入った人間を逃がさない。外で見た枝の揺れは「何もしないから、こちらにおいで」と言っていたように感じられたのに、入ってしまったら「逃がしはしない」と言っているみたい。傍に生える木々、木に纏わり付く蔦、足元に広がる苔、全てが一丸となって私にねっとりと絡みつく。勿論本当に絡みついているワケではないけれど、そうとしか思えない。

 そんな恐怖や森の意思から逃げる様にして私は必死に走る。やっと森の外にたどり着いた時はもう、空には眩しいぐらいに輝く太陽はなく、星達が暗い夜空で煌きあっていた。



  *


 出来上がったカンタレラを瓶に詰めた頃には家の中から見える外は真っ暗になっていた。昼頃に起きてきた彼女は、カンタレラが毒薬だと知っていた彼女は一体どこへと行ってしまったのだろうか。そう思いながら扉を開けてみれば、怯えたように震えるその子が居た。どうやら家の周りを囲う森に足を踏み入れてしまったらしい。彼女の着ている服は所々破けていて身体中に傷をたくさん作っていた。

 常人を受け入れたがらない、意地悪な森のことだから、彼女を酷く怖がらせてしまったに違いない。僕は一旦彼女を家の中に入れて、晩ご飯となる物を温め直すと同時に彼女の目の前に僕が普段使うことのない救急セットを置く。明かりの灯る室内に入った彼女は安心したのか、ホッと胸をなでおろしているようだ。

「僕は少しばかり出掛けてくるよ。昼前には必ず帰ってくるから好きにしていて良いよ」

 程良く温まった料理を彼女の前に並べた僕は、ちらりと瓶に入った毒薬を彼女に見せて家の扉を開ける。後ろでは彼女が驚いたような顔をしているのが分かっていたけれど僕はそれを振り切るようにバタンと扉を閉めた。

 彼女を酷く怖がらせたらしい暗い森の中に足を進める僕。常人ではない僕には、森はとても優しく、僕の歩く妨げになるような道は一切ない。

 家に置いてきた彼女は昨晩僕が対価としてもらった村人の一人だ。彼女は朝、僕に村の皆はどうなったのかと尋ねてきたけれど、僕は知らない。いいや、覚える必要がなかったから忘れたのだ。『魔女』の進むべき道に多少の犠牲はつきものだから、僕は今までと同じように忘れた。それに僕は犠牲者のことをいちいち覚えていられるほど記憶力が良いわけでもないしね。

 僕が黙々と歩き続ける森の上では月が輝いている筈なのに、僕の元にそれが届いてくることはない。しかし僕はそんなことについて森に文句を言うつもりはない。むしろこの森にお礼を言わなくてはいけないと思っている。何故ならこの森のおかげで僕は安穏とした、何の不自由もない生活を送ることができているからだ。

 普通の人が入ろうとすれば森は、この森にやってきたばかりの彼女を怖がらせたのと同じようにその人達も怖がらせ、迷わせてしまうから。『魔女』として異端視をされることの多い僕にとって、不必要な人間を排除するこの森は唯一の救いなのだ。

 そんな森の中、僕はどんどん先へ行こうとするけれど身体の方はちっともついてこれやしない。このまま行けば絶対に時間に間に合わないと分かった僕は、自身の身体を森に置き去りにして客の付近にいる子供の身体を使うことにした。因みにこれは憑依等と言う魔術めいたモノではない。唯、子供の身体に僕の自我を移しただけである。用が済めばすぐに離れるから『魔女』の呪いが感染することもない。

 こっそりと子供がいる部屋から抜け出して、客の男が居るであろう部屋の扉を叩く。勿論僕が使っている子供の手の中にはカンタレラの入った瓶がしっかりと握られている。

 僕が叩いた扉から男が顔を出してきた男は「君は誰だい?」と問いかけてくる。その質問に僕が「『魔女』だよ」と答えれば彼はすんなりと僕を部屋に入れてくれた。部屋の中には机とテーブル、小さなランプとベッド以外何もなく殺風景である。

 男は僕からカンタレラを受けると、とても嬉しそうな笑顔を浮かべて僕に「これであの子がオレの物になるよ。ありがとう」と礼を言ってきた。そして対価である「彼女への愛を綴った手紙」を僕に渡す。渡された分厚い手紙は『魔女』が欲している「人間の心理」の中でも価値が高いものである。何せ、この男は酷く己の欲望に忠実だからね。

「また、機会があったら会いましょう」という言葉を彼に告げ、部屋から出た僕は子供の身体を元在った場所に返す。そして森に置き去りにしてきた身体の中に自我を戻し、再び森の中を歩き始める。

 僕に毒薬を所望した男は秘伝の毒薬と謳われている『カンタレラ』の名を強調していたから、間違いなくその『カンタレラ』を使って人を殺めるのだろう。けれど、僕はその思惑を壊す。彼には悪いけれどあの瓶の中身はカンタレラなどではなく、仮死状態になれる薬が入っているだけなのだ。後日、彼女が死んでないと分かった彼は、思惑を壊された彼は。どんな行動を起こしてくれるのだろう。ヒトと言う生き物に興味が尽きない『魔女』にとって、戸惑いや混乱は絶好の機会だ。

 それに彼は愛しいヒトが欲しいと言っていたから、かのシェークスピアが作り出したロミオとジュリエットと同じく、奇しくも死ぬのは両方かもしれない。でもそれだけだったら少しばかり余興じみていてつまらないなと、残念に思いながら歩を進めてゆく。僕も『魔女』も作り上げられた物語通りに物事が進むのはあまり好きじゃあないんだ。やっぱり物語はオリジナルでなくちゃあ面白くないだろう?

 そう思いながら夜明けを過ぎたころにやっと家へ帰れば、連れてきた女の子が黙々と畑仕事に勤しんでいた。畑の世話をやっておいてくれと一言も言っていなかったから、やらなくても良かったのに。まぁ、「好きにしていて良いよ」とは言ったけれど……彼女は畑仕事が好きなのだろうか? それに、彼女自身が知らない物、例えば薬草の類には一切触れていないのはとても良いことだと思う。これは思っていた以上に早く同じになれるかもしれないな。

「畑の世話をしてくれてありがとう。後は僕がやるから君は休んでくれて構わないよ」

 屈みこみながら畑をいじる彼女に僕がそう言えば、彼女は「いいえ。始めたばかりだから、まだ大丈夫よ」と笑った。森をひどく怖いと思ってしまった彼女にとって、こうやって気を紛らわしている方が良いのだろう。

「そう。君がしたいと言うのなら、そうしてくれて構わないよ」

 彼女にそれだけを言うと僕は家の中に入り、対価としてもらった分厚い手紙を自室のタンスの中に入れ、朝食をとってから動きやすい格好になる。それに、僕は『魔女』の力によって眠りを必要としない身体を手に入れてしまったため、休息を取る必要もない。

 そのことをなんと便利な身体だろうと多くの人は思うかもしれないが、眠りを必要としない身体だからこそ、長い間僕は眠るという行為をしていない。勿論眠ることもできないから夢を見ることもできない。ただひたすら僕はつまらない夜を過ごしてきたのだ。

 扉を押して再び太陽の輝く外に出ると、畑仕事に精を出していた彼女が立って、家から出てきた僕を見た。

「ファースも畑仕事するの?」

「そうしないと食べ物がなくて困るだろう?」

 それもそうね。と彼女は小さく笑ってまた屈みこむ。僕は薬草の世話とする為にジョウロと軍手を持って作業に取り掛かった。

 そして僕らは間に休息を挟みながら、畑の世話から家の部屋の掃除までした。掃除の方は殆ど彼女がやってくれたから助かった。僕自身はあまり掃除などが得意ではないので、日頃掃除をしていなかった家の中は見違えるほどに綺麗になっていた。

 そうこうしているうちに日もどっぷり暮れて、彼女と僕は二人で食卓を囲む。相変わらず彼女は質問ばかりしてくるけれど、僕にとってそれは苦にもならない。

「どうして私の名前を聞かないの?」

「知る必要がないからだよ。むしろ邪魔になるから尋ねもしない。君が僕の名前を知っているだけで十分なんだ」

 深い理由は僕の中に不必要な彼女の自我を発生させてしまう恐れがあるからだ。それに僕に成り代わる可能性を秘めている彼女にも迷惑は多く掛けられない。彼女には彼女のままじゃなくて僕に成り代わり、『魔女』になってもらわなくてはいけないからね。

 二人だけの小さな食事を終えてから、僕は彼女に「おやすみ」の挨拶をして自室へ戻る。故意的な明かりものない部屋は、窓から差し込む月の光で照らされ白と黒のコントラストが綺麗に生えている。

 そしてその夜、僕はあの男が死んだということを知った。昨晩僕がカンタレラを……いや、仮死状態になれる薬を渡したあの客だ。どうやら彼が欲していた女には恋人がいて、その恋人にナイフで胸を一突きされたらしい。女を求めていた男は世間的にも疎ましい人間だったらしいから、彼女の恋人が罪に問われることはないようだ。全く、人殺しをした人間が無罪というのは変な話じゃないだろうか。

 因みに僕がそれを知るに至ったのは、昨日の今日で彼がどのような行動に出たのか気になり昨日と同じ子に移ったから。僕が移ったその子の傍に運良くあった新聞が小さくそれを記していたのだ。

 ずいぶん早い展開だなと嬉しく思いながら、少しばかりつまらなくなってしまい落胆する。あの男は自分の心を制御しきれていない所が気に入っていたから、死んだと知ったら少しだけ、そう、ほんの少しだけ悲しくなっていたんだ。

 タンスの中に入れていた対価の戸が身を取り出して、ベッドに戻る。そして慎重にその封を切ると、分厚い封筒の中からは大量の髪の束が出てきて、白いシーツの上に一気に広がり散らばった。

 手紙の一枚一枚には丁寧にかつ、黒いインクでびっしりと彼女への愛が綴られていた。「愛しているよ」の言葉は勿論、「キミのその乳白色の髪は、まるで砂糖菓子の様に甘く、オレをとろけさせるだろう」「キミの白い顔に栄えるように在る宝石のような青い眼と薔薇の様に赤い唇は、何物をも陶酔させるだろう」「嗚呼、オレは何時もキミを見ているよ」「キミにどんな男がいようとも、オレは決してあきらめはしない」「何故ならオレが、君をこの世で一番理解しているからだ」なんていう、恥ずかしい思い違いと犯罪臭が入り混じった言葉も書かれていた。

 愛情がたっぷりと込められたその手紙を読んでいると、僕はまるでそれを遺言の様だと思った。言葉の一つ一つが彼の最期の言葉で、愛しい女を手に入れる為に、『魔女』である僕に頼みこむほどに、彼は彼女を愛し、欲していたのだ。

 ―――そんなにしてでも、彼女を手に入れたかったのならば、君が死んだ今、私が君の為に彼女を捧げようではないか!

 僕の中に居て、滅多の事では自己主張をしたがらない『魔女』が思い立ったようにそう僕に囁きかけてきた。それに、多分『魔女』の差す「君」はこの手紙をカンタレラの対価としてくれた男の事だろう。よほど、『魔女』は彼の事がお気に召したらしい。

 シーツに広がる手紙の上に身体を寝そべらせ、木で造られた天井を見やる。

 まず手始めに彼の邪魔をして、彼を殺した男を自害させよう。人間、幾らでも身に疾しい事はしているのだし、君を殺した人間を裁かなくてはいけないだろう? そしてそれが終われば彼女の番だ。彼女には君を思いながら彼と同じ場所に行ってもらおう。毎日この手紙を彼女に贈るのが手っ取り早いかもしれないね。

 彼女への愛を詰め込んだ手紙を書いて死んでいった彼と、僕の中に潜む『魔女』が喜びそうな計画を立てていると、何だか僕自身も楽しくなってきた。早速明日からこの計画を始動させてゆくことにしよう。

 ごろりと寝がえりを打てば頭部に在った手紙がカサリと鳴って、まるで自分を読めという様に黒い字をこれ見よがしに見せびらかしてきた。そんな自己主張の激しい手紙を一拍置いてから閉じ、僕は瞼をおろして黒の世界を見る。

 僕の中に在り、僕に「人間の心理」を知るよう促す『魔女』には形や姿が無い。例えるならば自我を持った噂だろうか。しかもこの『魔女』は噂の割には特異な力を持っているのだが、質の悪い事にも『魔女』に成り代わった人物の身体を腐食させ、死滅させるという厄介な代物まで抱えこんでいるのだ。きっと途中で、何かの呪いにでもかけられたのだろう。

 だから紅い頭巾を被った『彼女』が僕に成り代わって自身の腐食と『魔女』の死を止めたように、僕も『彼女』と同じようにして『魔女』に適した子供を探し、成り代わっているのだ。

 しかし、成り代わることが出来たとしてもその身体の持ち主の自我が残る事は滅多にない。たまたま僕は先代の『魔女』である『彼女』よりも自我が強く、『魔女』に適していたから『彼女』の代わりにいるのだけど、普通は消えてなくなるだけである。そんな僕の自我は幾年月を重ね、何度他人に成り代わっても消えることは無かった。長い間『魔女』であった僕は、『魔女』であり続けることにほんの少しだけ疲れていた。

 そしてその長い間の内で、僕は繰り返し試行錯誤をし、これまでの経験と失敗から得た正しい『成り代わり』方を導き出した。それがこれだ。

 協調し、侵略する。同じことをして、同じ考えを持って、同じ感情を抱く。時には相手から干渉を受けて自分を同調させる。妥協をすれば同調し同じになることは叶わない。

 一旦僕と同じになってしまえば、僕が掲げる理論の上において同じ人間が二人いることになる。そしてその内の二人から僕の自我を更に超える、強い自我が発生するかもしれない。それが僕自身の自我なのか、彼女の自我なのかは『魔女』が決めることだ。

 しかも僕が連れてきた彼女は僕以上の探究心と大きな好奇心を持っているから、探究心が皆無に近い僕なんかより、ずっと『魔女』になれる確率は高いと思う。だって「人間の心理」を知りたがる『魔女』には探究心と言う代物が必要になってくるはずだからね。

 それに前提となる『協調』という行為自体が自我の崩壊だと言うのなら、それもまた一興だと思う。人間はいろいろなことを失敗してから真実を知る権利を得られるから、また次頑張ればよいだけの話だ。何せ僕には成功するまで永遠にチャンスが与えられているのだから。

 そうして夜が耽る中、僕は彼女と自分を同じ人間にする為ならどんな努力も惜しまないと決めたのだ。

 まずは彼女が僕に、僕が彼女になる為に、彼女に『魔女』を教え、彼女が僕になりたがるように、彼女が僕を羨望するようにしなくてはいけないね。

 結局のところ僕も彼女も『魔女』が主人公を務め、『魔女』自身が造り出した舞台の上で戯れているにすぎないのだけれどね。



   ・・・◆


 ひらひらと白いカーテンが揺れて外からの優しい風を小刻みに部屋の中に取り込む。そんな中、私はコトンと木の机の上に飲み物が入ったカップを二人分置いて、ファースの向かいにある椅子に腰掛けた。すると目の前に居るファースが手元のカストリ雑誌をめくりながら口癖のように「姿のない『魔女』は人がどのようにして生きていくのか、とても興味があったらしくてね、『魔女』はいろいろな人の身体を移りながら今でも僕の中で生きているんだ」と言葉を発して、パタンとカストリ雑誌を閉じた。

 私が此処に来てしばらく経った後から彼女は自分のことだけでなく、魔女の話を頻繁にするようになっていた。それに今回の話の内容からも分かるように、どうやら彼女は自分のことを『魔女』だと思っているらしいの。私が元々持っていた持論としては『魔女』などと言う非科学的な者は存在しないということだったけれど、彼女が本当に『魔女』であると言うのなら、彼女がたまに作る薬や理解しがたい持論の説明などの少しだけ変った行動も頷ける。

 勿論、彼女はどこか変わっていると私も思うけれどそんな所がファースらしく、理由は分からないけれど私も同じになりたいと強く思っているの。信仰心の乏しい私だけれど、この感情はきっとその信仰心にも似たものだと思う。いいえ、信仰心に違いないわ。

 それに短い間であったけれども、私はファースについてのことをほとんど知っていた。そして彼女は私のことを知るだけでなく理解までもしていた。そのおかげなのか、唯の錯覚なのか分らないけれど、まるでファースは私に、私はファースになれる。そんな錯覚まで引き引き起こしてしまうほどに、互いを知りつくしていたの。

 元はまったく違うものであったのに、今では同じ。同じことをして、同じ感情を持って、同じモノを共有しなくちゃあ我慢が出来ない。そんな日常が当たり前になっていた。もし他人がそれを見ていたら気持ち悪がるだろうけれど、生憎此処には他人と言う者は存在しないから、咎める人はだれ一人居ない。むしろ、咎める人間が居たとしても意味はまるでないと思う。だって、ファースと同じになれるってとても幸せなことじゃない?

 そんな強い信仰感と陶酔を持った私は、ある日ファースの腕がシミに蝕まれていることに気が付いた。彼女の首元と長袖に包まれた腕は、指を残し真っ黒なシミに侵されていて醜い。彼女は「戒めだよ」と言っていたけれどこれが戒めで済むものか。呪いの類に相違ない。

 そう、私が信仰し、同じになりたいと願い、陶酔していた彼女に残されているのは指と、首から上の顔。たったそこだけ。日々醜くなっていく彼女を見ていると私はとても悲しくなった。それに彼女は私が抱く信仰心の対象なのだから、穢れてなどいけないと思うの。もし穢れ続けてしまうというのならば、彼女の時を止めてしまおう。―――彼女に『成り代わって』しまおう。

 少しばかり狂気じみた自分自身の考えには「何故?」という疑問は語りかけてこない。それはきっと、私がファースになりつつあるからなのかもしれない。だって彼女は自分自身の行動を「何故?」だなんて思わないでしょう?

 だから今日、私は、完全に穢れて消えてしまうファースを助けることにしたの。以前彼女が作っていた毒薬のカンタレラを彼女の飲み物に混ぜて、彼女の時を永遠に綺麗なままで止めておくの。

 カストリ雑誌を膝の上に置き、カップに手をかけたファースを見つめながら、私はカンタレラが入ったカップに彼女が早く口づけないかと、心臓を激しく鼓動させ私はファースの話を聞き続けていた。

 そしてファースがカップに口づけ、中身を嚥下した瞬間私は心の中で歓喜した。これで彼女は綺麗なまま永遠を手に入れ、私は彼女に成り代わることができる! そんな歓喜の中、ファースは椅子の背もたれに自身を預け、眠るように目を閉じて首を項垂れさせた。

 その瞬間、彼女の手元にあったカップがそこから離れ、床に落ち、大量に在った中身を床にぶちまけさせる。ファースの膝の上にあったカストリ雑誌は彼女が態勢を崩したせいで、ぶちまけられた飲み物の上に落下し、文字をじんわりと滲ませた。

 しかし私はそれを片付けもせず、息を殺しながら彼女の呼吸と手首の脈を測る。どうやらこのカンタレラは即効性の物だったらしく、彼女はすでに脈もなく息絶えており温もりも徐々に遠のいていた。

 その事にとめどもない喜びや悲しみを感じた私は、自身を落ち着かせ、それをちゃんとした現実として受け入れる。これでファースは完全に穢れて消えてしまう前に死を迎え、私は彼女に成れた。成り代わることが出来た。喜びで、顔の緊張がゆるみ笑みを浮かべている事が自分でも分かり、身体が高揚し熱くなる。これからどうやって彼女を演じよう。そう思った瞬間ピクリとファースが動いた。

 どうしてファースが動いたの? 彼女は脈もなく、温もりもなくなり、呼吸もしていなかった。なのに、どうして彼女は動いたの。そんな疑問が私の頭の中を駆け巡り、震える身体を押さえつけられなくなった私が傍にあった陶器でファースに危害を加えようとすれば、彼女はパチリと瞼を開いて唇を動かした。

「『―――       』」

 ファースが、いいえ、『魔女』が何を言ったのか分らない。聞こえるのは自分自身が発する悲鳴にも似た絶叫だけ。私はファースに成りたかった。いいえ。ファースに成ることは出来た、それだけの筈なのに。たったそれだけの筈だったのに。どうして私はこんなにも『魔女』とは違っていたのかしら。

 かくして私はファースに成り代わることもなく『魔女』が主人公を務める笑劇から退場を強いられたのである。




    *



「『―――あなたがほしい』」


 またしても次世代の『魔女』にそう言った『魔女』は、僕の自我を保ったまま彼女を乗っ取るに至った。

 しばらくの間、共に暮らしていた彼女がどんな人間なのか僕は理解していたし、彼女の中で僕は信仰の対象であったのも知っている。それに、最後に一度だけ僕と同じになれたことはとても喜ばしい事である。

 僕が求めた通り彼女は僕になるという願望と錯覚を抱いていたから、彼女が僕に何をするかなんて僕にはお見通し。だから僕はあえて、彼女の仕込んだカンタレラを自ら劇薬と変え嚥下したのだ。

 そうしてあっけなく事切れた身体から僕は離れ、その中に居座っている『魔女』が僕の体だった物を使って彼女を襲う。

 彼女は僕で僕は彼女で、僕は魔女。その関係から早く抜け出したくて、僕は

 彼女は僕の自我を越えるには至らなかったらしく、カラッポになった彼女の身体の中にはいった『魔女』に引き寄せられるように僕は彼女の中に招かれる。

 せっかく同調して同じ人になったのに、僕の中に巣くう『魔女』はどうして僕と同じになった彼女をいとも容易く跳ねのけてしまったのだろうか。今回は名前を聞かずにいたから大丈夫だと思っていたのになぁ。

 まあ、この失敗から新たなる「正しい成り代わり方」を導き出すことができるのだから、気に病むことなど一つもない。

 嗚呼、でも今回の彼女は探究心も好奇心も旺盛だったから『魔女』が求める身体にぴったりの逸材だと思ったのだけれどなぁ。『魔女』は一体どのような子が好みなのだろうか? もしかした僕みたいな男の子が適しているのかな? 彼女のおかげで少しだけ「知りたい」という気持ちが出てきた僕は、疑問符ばかり彼女の頭の中の記憶を探ってみる。

 どうやら彼女が住んでいた村では、僕が居る森は『魔女』が居るから入ってはいけないよと諭されていたらしい。彼女は森が怖いからだとずっと思っていたようだけれど、大人たちの言っていることは正しい。何故ならこの森の中には『魔女』という僕が住んでいるのだからね。

 今まで僕が使っていた身体から距離をおき、傍にあった椅子に座る。ラベンダー色のワンピースに白のエプロンを着たままピクリとも動かないその身体を彼女の身体から眺めれば、首元には黒いシミがびっしりとあり、自分の目で見るよりも醜く見えた。そして、それと同時にこの身体の本来の持ち主である彼女が、このシミから僕を救おうとした事はごく普通の考えだったのかもしれないと思いはじめた。

 彼女の思考を辿っているとフワリと窓から風が入り込み、そっと僕の髪を、僕が成り代わった彼女の髪を揺らした。僕が成り代わった彼女の髪は思っていたよりも艶があって綺麗だったけれど、髪と一緒に見えた指は元来土いじりが好きだったせいか節くれ立っていて何だかみっともない。でもこれはこれで彼女らしいな、なんて思ってしまった僕は、思わず彼女の口を使ってクスリと笑ってしまった。

 僕は彼女で彼女は僕で、だけど、彼女は『魔女』には成りえなくって、僕は長い間『魔女』を引き継いでいる。そんな僕は何時になれば『魔女』の笑劇から退場出来るのだろうね?




 演技さえ必要のない舞台は、何時だって形のない主人公である『魔女』の手中にあったんだ。



―閉幕―







『Farce(ファース)』…笑劇、道化芝居、茶番、無駄でばかげたこと。
『魔女』…人間の真理を貪欲に知りたがる者。姿のない自我。噂。特異稀な力と成り代わった者を腐食させる力を持つ。
『彼女』…『魔女』に成り代られた(自我を受け継がされた)真紅の頭巾を被っていた少女。ファースの先代。
『僕(ファース)』…『彼女』から『魔女』を受け継がされた男の子の自我。現在『魔女』の欲望を叶えるため客と取引をしたりして人間の心理を知ろうとする。それと同時に『魔女』を途絶えさせぬように『魔女』の力を使い『魔女』に適した者を探す。
『森』…普遍的な人間を疎み、足を踏み入れると外に出られる確率は低い。現在は普遍的ではない『僕』を好み、彼に住む場所を提供している。

 2年程前に書いた作品。思った以上にちぐはぐでもだえ苦しんでいます。

(110822.398)web-頂の鶴-にうp



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